
- 晩年までマンモス機D52が活躍したことで知られる五稜郭機関区を特集。当時を知るOB3名にお集まりいただき、椎橋俊之氏が仁山越えを含む、函館本線の蒸機乗務の実際に迫ります。また国鉄の流儀「長門機関区機関士D51座談会」「戦前・戦後蒸機を見つめて」、新連載「国鉄蒸機検修史」も必見です。
折込表 諸河 久の形式写真館 第9回 D52 202
折込裏 五稜郭機関区 1971年12月5日 写真/諸河 久
蒸気機関車EX Vol.22|イカロス出版
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■五稜郭機関区最後のD52
全国規模で活躍していたD52も無煙化とともに次第に各地から姿を消し、最後の舞台となったのが五稜郭機関区でした。しかし1973(昭和48)年、同区のD52もいよいよ姿を消すこととなります。今回は五稜郭機関区OBの皆さんにお集まりいただき、当時の実際やエピソードを語っていただきました。また、末期の1972(昭和47)年3月31日現在で同区に在籍していた10両各機の詳細、保存会によりメンテナンスされている235号機の話題もお楽しみください。
■国鉄の流儀 長門機関区D51 機関士座談会
定期営業列車の運転は1974(昭和49)年11月末まで、そしてさよなら運転も1975(昭和50)年1月と、本州でもっとも遅くまで蒸機が活躍した長門機関区。前号の最終所属機のプロフィールや検修インタビュー記事につづき、今回は長門機関区の元機関士3名による座談会の模様をお届けしましょう。風光明媚な日本海沿いを行く山陰本線西部や、25‰の勾配が存在したという美祢線、そして他区から来た多種多様なD51の運転とはどのようなものだったのでしょうか。
■国鉄の流儀 戦前・戦後、蒸機を見つめて
東海道本線の要衝であった稲沢・名古屋両機関区にて、機関助士・機関士として活躍された日比野秀一さんにお話をうかがいました。D51新製とときを同じくして就職された氏の証言は、たいへん貴重なものです。初期型D51は当時、現場で「流線型」と呼ばれていたそうです。乗務した機関車は、明治期に製造された6250形からC62まで多岐にわたります。こうした機関車の乗務経験はもとより、当時の勤務体系や給与といった鉄道現場の状況にも話がおよびました。
■表紙写真
大木 茂
長万部 1970年2月19日
■目次写真
五稜郭機関区ゆかりの静態保存機
相模原市鹿沼公園D52 235
写真/編集部
CONTENTS
第2回 蒸気機関車と私
天塩の兄弟機
荒川好夫
カラーグラフ
函館本線 五稜郭機関区D52 北辺のマンモス機
山陰本線 長門機関区D51 本州最後のドラフト
荒川好夫・松本謙一・大木 茂
鉄の馬と兵ども ~蒸機乗務員回顧録~ 第3回
函館本線 有川桟橋から仁山越えへ
椎橋俊之
第22回 履歴簿に見る機関車の一生
デゴニラストナンバー D52 468
肥沼陽一
昭和47年3月31日 五稜郭機関区
最後のD52 10両を見る
肥沼陽一
“見る・聞く・触る”五感で感じる五稜郭時代のD52
相模原市鹿沼公園D52 235
封印されたあの日、あの時
「五稜郭」D52との出会い
佐佐木理己弥
国鉄の流儀 戦前・戦後 蒸機を見つめて
元 稲沢・名古屋機関区OB回顧録
持田昭俊の
蒸気機関車写真セミナー 第7回
梅小路運転区 D51 200 本線復帰へ4
再生されるボイラ
伊藤久巳
日本鋼管の蒸機と
ボールドウィン9号機
林 嶢
国鉄の流儀
長門機関区D51 機関士座談会
第1回 国鉄蒸気機関車検修史
Ⅰ運転現場の蒸機保守
三品勝暉
第5回 戦後の全国機関車配置表
太平洋戦争後の機関車配置Ⅳ
徳永益男
第21回 見蒸必撮 あの熱き日
幸福と9600
伊藤久巳
第9回 蒸気機関車、運転の奥義
運転競技
川端新二
エンスージアストのための情報空間
Steam Liner
第10回 蒸気機関車、もうひとつの楽しみ方
大井川鐵道のきかんしゃトーマスとなかまたち
岡本憲之
日光・鬼怒川地区でC11 207復活
追憶 東武鉄道で活躍したC11
全国蒸機最新情報
News Steam!
資料編
全国蒸機列車 運転情報総覧
資料編
全国蒸機列車運転日一覧
折込表 諸河 久の形式写真館 第9回 D52 202
折込裏 五稜郭機関区 1971年12月5日 写真/諸河 久